紅茶の日って何?由来や理由は?なんで11月1日になったの?

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11月1日は紅茶の日。

でも、なんで11月1日が紅茶の日になったのでしょうか?

秋は紅茶が美味しく飲める季節だからかしら?なんて思っていたけど

紅茶の日が11月1日に定められたのには歴史的な事実と壮大なドラマがありました。

◆紅茶の日はいつ出来たの?由来は?

紅茶の日が出来たのは1983年のこと。

紅茶の日は比較的新しく出来た記念日なんですね。

紅茶の日を11月1日と定めたのは「日本紅茶協会」です。

では、なぜ11月1日が紅茶の日になったかというと

「日本人が初めて紅茶を飲んだ日」を記念して、というのが由来です。

では、それがいつのことで、その日本人で誰だったのでしょうか?

◆日本人で初めて紅茶を飲んだ人って誰?

日本人が初めて紅茶を飲んだのは1791年のことだったそうです。

1791年は江戸時代(1603年 – 1868年)の後期にあたります。

和歴だと寛政3年で、学校で習ったあの寛政の改革の真っ最中。

その時の将軍は第11代徳川家斉です。

一方、紅茶が誕生したのはいつかというと

紅茶は1643年に誕生したという説(守屋毅著『お茶のきた道』より)があります。

紅茶を作っていたのは中国だけど紅茶を飲んでいたのは主にヨーロッパの王侯貴族たちです。

その後紅茶は一般人にも普及し、1791年の頃はイギリスを中心にヨーロッパ各地やアメリカでも広く飲まれるようになっていました。

でも、日本は鎖国していたので、日本の一般人が紅茶を飲んでいるはずはありません。

ということは将軍様や天皇陛下など身分の高い人が献上されて紅茶を飲んでいたのかな?」と思ってしまいますが

日本人で初めて紅茶を飲んだのは意外にも、一般人の大黒屋光太夫という人物でした。

◆日本人で初めて紅茶を飲んだ大黒屋光太夫ってどんな人

大黒屋光太夫は伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とした運輸船の船頭。

物資を船で運んで商いをしていた人です。

普通の船頭がなぜ初めて紅茶を飲んだ日本人になったかというと、

航海中に漂流してロシアに流れ着き、そのロシアで高貴な方のお茶会に招かれて紅茶を飲んだというわけ。

でも、ただの漂流者がロシアの高貴な方のお茶会に招かれるって、ちょっと不思議ですよね。

それは当時のヨーロッパ諸国やロシアが日本に注目していたことが関係しています。

大航海時代を経て世界の覇権を握っていたヨーロッパ勢だけど、日本を征服することは出来ませんでした。

侵略の先兵として宣教師を送っても日本には効果がなく、そうこうしているうちに、日本が鎖国という政策をとってしまったので侵略のきっかけさえもつかめない状態になっていたのです。

そんな折、漂流してきた日本人がいるとしたら、日本侵略への足掛かりになると考える人がいてもおかしくないですよね。

当時のロシアの女帝エカテリーナ2世もそんな風に考えていたようで、大黒屋光太夫を何度も招集して、日本について語らせました。

エカテリーナ2世に何度も招集されたことから、大黒屋光太夫は有名人となりロシア貴族社会で引っ 張りだこになったそうで、ロシアの首都ペテルブルクで過ごした約半年間はほぼ毎日、晩餐会に招待されていたそうです。

大黒屋光太夫は漂流してロシアに流れ着き、すぐにエカテリーナ2世に謁見したわけではなく、
なんとロシアに漂着してから9年後にやっとエカテリーナ2世に会うことになるのです。

その紆余曲折の物語は、いろいろな本にまとめられています。

三重県からエカテリーナ2世に謁見したサンクトペテルブルグまでは1万キロ以上。

遭難し途中で仲間と死に別れたり、辞書もない中、異国の言葉を習得したり
その異国でリーダーシップをとったり、異国の皇帝と謁見したり、
そして無事に帰国するなんて、かなりドラマチックですよね!

たくさんの本に記録として残されるはずです。

有名なところだと、井上靖の「おろしや国酔夢譚」

こちらは小説なので事実と異なる点、特に日本に帰ってきてからの話は全く違う内容になっているけれど、小説なので面白く、全体を通して読みやすいです。

この小説は1992年に映画化もされています。

三重県鈴鹿市には大黒屋光太夫記念館もあります。

三重県にある大黒屋光太夫記念館の入り口
三重県にある大黒屋光太夫記念館の入り口

◆大黒屋光太夫が紅茶を飲んだ記録は?

紅茶の日の由来になった1791年11月1日に大黒屋光太夫が紅茶を飲んだという記録は残されているのでしょうか?

一説によれば大黒屋光太夫は女帝エカテリーナ2世のお茶会にも呼ばれたとか。

そして、それが1791年の11月1日だったという説もあり、このことから紅茶の日が誕生したのだけど、

実際には大黒屋光太夫がエカテリーナ2世のお茶会に呼ばれたという記録はありません。

反対にエカテリーナ2世のお茶会に呼ばれなかったという記録もないのですけどね。

でも当時のロシアは紅茶が大流行中で貴族の間では頻繁にお茶会が開かれていたのは事実ですし、
ロシア貴族に大人気だった大黒屋光太夫がどこのお茶会にも招待されなかったとは考えにくいです。

大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見したエカテリーナ宮殿。「おろしや国酔夢譚」の映画のロケもここで行われました。
大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見したエカテリーナ宮殿。「おろしや国酔夢譚」の映画のロケもここで行われました。
内部もとてもきらびやかな宮殿です。
内部もとてもきらびやかな宮殿です。

 

という訳で、

日本人で初めて紅茶を飲んだのが大黒屋光太夫ということには間違いはなさそうだけど

それが1791年11月1日だったのか、それがエカテリーナ2世のお茶会だったのか?ということは定かではないのです。

11月1日を紅茶の日と定めた日本紅茶協会のHPにも1791年11月1日に大黒屋光太夫が紅茶を飲んだと明記はしていません。

日本紅茶協会のHPによると

”1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。“

とあります。

大黒屋光太夫関連の本を調べると、大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に初めて謁見したのは1791年6月24日で、最後に謁見したのは1791年10月24日という説もあるので、11月に謁見したかどうかも定かではないんです。

私としては大黒屋光太夫がロシア貴族に頻繁に晩餐会に招待されるようになった1791年の夏頃にはどこかのロシア貴族のお茶会に招待されて紅茶を飲んだ可能性が高いのではないかな?と思っています。

いかがでしたか?

11月1日が紅茶の日になったのは、日本とロシアにまたがった壮大な物語が背景にあったのですね。

実際に日本人が初めて紅茶を飲んだのが11月1日ではなさそうだけれど、1791年に大黒屋光太夫が日本人として初めて紅茶を飲んだのは確かなことのようです。

細かいことは置いておいて、紅茶の美味しい季節に紅茶の日が定められたのは紅茶好きな私としては嬉しいことです。

真夏に紅茶の日が定められても、あんまり思いっきり紅茶を楽しもうとは思わないですもんね。

毎年11月1日前後は紅茶の日を記念して、さまざまなイベントやキャンペーンが催されるので、今年も思いっきり紅茶の日を楽しもうと思います。